華鳴啓は、いつだって変な少女に振り回されている……なんて、ことはない。基本的には、彼は皆に好かれる立ち振る舞いが上手いし、中高ともに多くの友人がいる。今も、ゼミでは優秀だと評価されているし、彼の周りはいつだって彼を賛美する声で溢れている。  そもそも、そんなおかしい少女と関わる時間の方が少ない。基本的にはまともで、普通で、合理的配慮なんて受けていない人間としか関わらないのだ。  彼の周りには、いつだって何かの壁がある。それは社会福祉を受けている人間と受けていない人間という、制度の違いの壁なのか、彼自身の差別意識の壁なのかは誰にも分からない。もちろん、啓自身もそんなもの意識もしてなければ差別してる気すら無いので、答えを知るはずがないのだった。  ゼミに顔を出せば、啓を見た途端ぱっと明るい顔をした同級生の女がこちらに歩いてくる。 「啓くん! ちょうどよかったあ。この後ゼミのみんなでご飯行こうって話してるんだけどどうかな」 「んー……この後空いてるしいいよ、行こ」 「ほんと? 啓くん忙しいから無理かなって思ってた」  屈託のない笑顔で啓に話しかける女を、啓は普段通りの温和な笑顔でやわらかに返す。気分だったから空いていると言っただけ。きっと、予定があってもなくても、気分じゃなければ「忙しいわ、ごめん」と申し訳なさそうな顔を作って、眉を下げるように返していただろう。  女は心底嬉しそうな顔をしていて、なんで馬鹿なのだろうと啓は思った。自身の価値を理解している面では、賢いかもしれない。  なんとなくゼミの教室を見渡せば、全員が円滑なコミュニケーションを取っていることがすぐに分かる。今は完全な自由時間、という感じで各々が話したいことを話し、やりたいことをしているという雰囲気だった。  それは、人と関わることを誰も恐れていないという感じだったし、誰も自分の思考をわざと話さない雰囲気があった。啓は、自分の思想を話す意味の無さをよく知っている。そもそも人とそこまで深く関わる必要なんていつだって必要ないし、自分の考えを理解できる人間なんてごく稀でこの世は馬鹿ばかりであることを理解しているからだった。 「けいくーん、ぼーっとしてる? あはっ、なんかかわいいかも」 「……あー……いや、ご飯何かなって。可愛いってなんだよ」 「えー! そういうところ! ご飯ねー、みんなで適当に決めよっか」  何が可愛いだよ、気持ち悪い。適当に笑って返せば、その場は収まるので何も言わない。こんな女とまともに会話をすることこそ無駄である。適当な隙を見せておけば、相手は勝手に親しみやすい華鳴啓という虚像を補強し、満足するため楽なものである。  軽く息をついて、人付き合いが自分の思うように進む心地よさをしみじみと感じていく。思考を深め、言語化し、他者と共有することなど無意味である。最初から破棄することが、この世界をうまく生きるルールだ。この世は、馬鹿ばかりだから。

この教室にいるのは、見たいものしか見ない奴らばかり。適当に優しく対応する自分が好きな女、ショート動画で流行っているくだらない音楽、当たり障りのない愚痴、取り組むのが面倒な課題。薄っぺらい言葉。薄っぺらい話題。薄っぺらい人間関係———ああ、なんて素晴らしいことか。  おかしな少女がいないだけで、華鳴啓の日々はここまで美しくまわり続ける。薄っぺらい彼を、奥底まで連れ込もうとする少女の存在は異端と言えることが、よく分かる。