私の家にはテレビが無いので、天気予報を見る瞬間がない。私はスマートフォンのブルーライトが眩しくてつらいから、基本見ない。そんなこんなで、天気予報を知らずに外に出ることがほぼ毎日である。電車に揺られる時だって、人に巻き込まれても気が狂わないよう、頓服を飲んで目を瞑るだけで朝の時間を終える。 朝食が用意されるのは実家の良さだ、とか、朝挨拶してくれる人がいるのは幸せなことだ、とか。きっと、その通りの家庭もあるのだろうけれど、我が家は最後に会話をしたのがいつなのかも覚えていない。少なくとも、私に母の味というものはないのだけが確かだ。 まあ、天気予報を見なくても大体の予測は出来る。今日は髪の毛が上手くまとまらなかったから多分雨。お父さんに殴られた時みたいな頭痛がするから、低気圧。ヘアアイロンの人工的な熱と、自然界による髪の跳ねはいつだって戦っている。まあ、自然の強さとは、ままならないもの。私の見た目が今日変でも気にする人はいない。どうせ友人もいなければ、話しかけてくる人もろくにいないからだ。 ———なんて、案外そんなことは無かったようだ。 「おい、お前連絡くらいちゃんと見ろよ」 ご立腹な先輩が、空き教室で寝そべる私に声をかけてくる。この空き教室はいつも使われないから、知っている学生なんてごく一部のはずなのに。なんでわざわざ。……そういえば、先輩といる時に忘れ物に気付いてここに取りに行ったことがあったかもしれない。彼の記憶力の良さに私は感心する。 「えー……連絡はメールにくださいって、前も言ったでしょう。スマートフォン見れないんです、怒らないでください」 「知らねえよ、現代人なら適応しろ」 「社会に適合出来なくて病気になった私に、現代人なんて枠で求めないでください」 「はあ? 連絡見れないのが病気? ただの社会不適合者を、よくそんな言葉でうまく誤魔化そうとするもんだ」 どんな日でも先輩は先輩だ。私は病気だから連絡を見れない、とは伝えていないのだが。まあ、上手く先輩の中で言葉を繋ぎ合わせてくれたのだろう。私と話そうとする努力はきっと、しているはず。私は軽く頷く。 「……ええっと、連絡はなんですか? メールアドレス教え直したほうがいいんですかね」 「……いちいち面倒くさい。ほら、これ。じゃあ俺もう授業だから。お前もどっか行け」 普段より早口だ。どっか行けと言ったって、先輩も私もこの教室から消えてしまうのなら誰もいなくなるじゃないか。ああ、そういえば前に教授がアガサ・クリスティの悪口を言っていた。思想が強い人の話はなかなか面白い。 目線を感じると思えば、意識が別の方向に向いている私をじっと見つめて不満げな彼に気付く。怒らせてしまったのかなあ。そういえば、お父さんもよく私が変だと怒っていた。ぼんやりしている私の腕を、普段の口調に似つかない優しい力で机の上に出させてくる。引っ張られた時、一瞬何か思い出しそうだったものの、力の優しさに驚いてしまい、何かを思い出し切る前にどこかに消えた。多分、それで良い。 そうしていると、私の手のひらには小さなチョコレートが置かれている。 「どうしたんですか。……あ、間違えて買っちゃったんですか? あと、私はこの教室からまだ動かないですよ。空きコマですから」 先輩は大きなため息をついた後、私の髪をぐしゃぐしゃにして「いつもより汚い」と言い放ってはどこかへ消える。相変わらず、足が速い。 失礼な先輩の発言に抗うため、ヘアセットが上手くいかないことが仕方のない日か知ろうと天気アプリを開く。今日初めてスマートフォンを見た。通知センターに置かれていた先輩からの連絡は、二限後に俺の近くへ来いとぶっきらぼうなもの。なんなんだ。スクロールすると、カレンダーアプリからきらきらとした通知音が鳴る。 『お誕生日おめでとうございます』 ああ、そういえば私は今日誕生日だったらしい。……もしかして? あらためて、手のひらに乗ったチョコレートを見る。それは小さくて、いかにも甘ったるそうな見た目をしている。先輩が嫌いだろうというのが見て取れる。私は、私が生まれてきた事実を突きつけられた気持ちになって、手をぎゅっと握る。私の手の温度じゃチョコレートは全然溶けなくって、生まれてきたことを否定するのは難しいのだなあと思うばかりだった。